成瀬 大介(なるせ だいすけ)

- メディカルサポート快癒院院長
- 柔道整復師
- キネシオロジスト
- 日本タッチフォーヘルス協会公認インストラクター
- IKCインターナショナル・キネシオロジー・カレッジ公認
- タッチフォーヘルス・インストラクター
- メタファー・インストラクター
- ナチュラル・メディカル・カレッジ 東京カレッジ校長
- 日本トラウマティック・ストレス学会会員
- 未来予想図実行委員
1989年、愛知県にて「なるせ接骨院」を開設。1999年、東京南青山にて「なるせ癒院」を開設。統合的ヒーリング手法を生かした施術を行う。日本で初めて実施されたタッチフォーヘルス・インストラクター試験に合格し、2001年、千代田区飯田橋にて「ネオス快癒院」を開設。臨床経験27年で培ったテクニックと知識をベースとしたホリスティック医療を実践。2010年、札幌に拠点を移しナチュラルメディカル(自然な医療)により健康をサポートする「メディカルサポート快癒院」を開設。
成瀬大介がコラム風に語る自己紹介
柔道整復師になろうと思ったキッカケ
中学生のときの私は、柔道部での練習中に経験した何度かの骨折がもとで、整形外科や接骨院という環境に慣れ親しんでいまし た。
高校生のとき、柔道部の先輩に練習後、「成瀬はマッサージがうまいから」という理不尽な理由でマッサージを居残り強制されたり、クラスメイトの肩を揉んであげたりしているうちに「うまい!」と褒められ、“こういうのも面白いなぁ”と漠然と思うようになっていきました。
大手企業への就職も決まり、あとは無事に卒業するだけだと思っていた高3の夏休み。祖母の病院見舞いの帰りに、ふと“医療系の仕事がしたい”という強い想い が湧き起こり、この道を歩むことを決意。
高校卒業まで数日となったとき、ある整形外科でリハビリのスタッフを募集していると聞き、すぐ面接に応募しました。
面接の場で採用が決まり、卒業式の翌日から働くことになったのですが、ひとつのことをやり続けることが苦手だったので、正直なところ“いつまで続くか なぁ?”と思いながらの社会人スタートでした。
ところが、いつまでたっても毎日が新鮮で楽しいのです。新しいことを覚える大変さはあっても、飽きるなんて考えられませんでした。
医療の道に進んで、最初に言われた大先輩の言葉「我々の仕事はサービス業だ」は、今でも深く心に根付いています。
幸運だったのは、月に数回ですが、某大学病院の理学療法部の部長をはじめとする面々に、交代で指導に来ていただける環境にあったこと。
私の手技の土台は、確実に彼らによって築かれました。
柔道整復師として修行時代
あるとき、肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)の患者さんの施術を命じられました。カルテの指示を忠実に守れば、肩関節の施術だけでいいのです。しかし、指導を受けたひとりの理学療法士に言われた“関節可動域が正常な肩関節周囲炎の患者は、頚も疑え!”という言葉を思いだし、独断で頚部のストレッチを加えてみました。
そうしたら、嘘のように痛みが消えてしまったのです。
私もビックリしましたが、それまで何ヶ月も通院していたその患者さんはもっと驚いていました。
そして、きちんと正座をして、自分の孫に近い年齢の私に手を合わせて深々と頭を下げてくれたのです。
今でも、このときの感動を味わいたくて、また患者さんにも味わっていただきたくて、私は白衣を着ているのかも知れません。
このとき学んだことは“決められた小さな枠にとらわれていては、大切な大きなものを見落とすことがある”ということでした。
整形外科に勤務していたときのこと。同じ患者さんに同じ内容のことを、意識を集中して施術した日の場合と周りの人と談笑しながら行った日では、術後の結果に差があることを何度も体験しました。
意識を集中して施術を行った日の方が、痛み・関節の動き・患者さんの満足度、どれにおいても効果が高いことを実感できたのです。
“「心を込める」とは、こういうことなのか”
“「心を込める」と気がでて、効果が高まるのか”
この頃から“意図すること”を意識するようになりました。
痛みのコントロールには、技術だけでなく意図の関与も否定できないと感じながらも、それを言葉にするのは、まだ勇気のいる時代でしたし、自分の手技で人に感動を与えたという経験もあって、筋肉・骨格に焦点を当てたテクニック重視の施術を行っていました。
“技術不足なのかなぁ”
“もっと効果の高い方法があるかも”
患者さんの繰り返す症状に、モヤモヤする日が続いていました。
あるとき、“気を使えば、もっと根本に近づく治療ができるかもしれない”と思い立ち、独学で気を感じる練習を始めました。
気のサークルなどにも参加して気の扱い方を身に付けました。患部に手を当てるだけで、筋肉や関節が緩んで痛みが改善していくのは快感でした。
しかし、目に見えない“気”というエネルギーを扱っている人を、“特別な存在”だと見て依存してしまう人、逆に“自分は特別な人間なのだ”と勘違いをする人もいます。目に見えないだけに、客観性に欠け主観が入りやすいのです。
そこには、施術者の価値観を押しつける危険性を含んでいます。
後に、目に見えないエネルギーを、施術者も患者も客観的に判断できる筋肉反射テストを使う「タッチフォーヘルス・キネシオロジー」に出合いました。
私は自分を“特別な存在”にしたくなかったので、柔道整復師という資格を利用しました。公的な資格を謳うことで、いい加減なことはできなくなると考えたからです。
タッチフォーヘルスとの出会い
物理的な手技を施したあと、こちらは客観的な効果を認めていても「なんだか良くなったような気もします」「よくわかりません」など自らの身体の変化に鈍い人もいます。
現代人は、五感を駆使して外敵から身を守る必要がありませんし、五感を使って何かを感じるという機会も少ないですから、多くの人は自らの感覚について鈍感になっているように感じます。
あなたは、五感を意識して食事を摂っていますか?
毎日のこころの動きや体調の変化などを感じていますか?
社会では、ものごとを理論的・客観的に考えることを要求されますし、それができる人の方が生き残りやすいものです。
あなたは、自分の直感やひらめきを信じて行動することはありますか?
現代人が自らの直感を軽んじるのは、自分に自信がないかもしれません。
なにか、患者さんが自らの身体の変化に気付きやすくて、それがお互いに客観的に評価できるテクニックはないものか・・・。
そんな時、タッチフォーヘルス・キネシオロジーに出合いました。
- 心の状態が、筋肉の強弱にあらわれる
- 栄養の状態が、筋肉の強弱にあらわれる
- 目に見えない気の状態が、筋肉の強弱にあらわれる
タッチフォーヘルス・キネシオロジーは、東洋医学の経絡という気の流れを扱います。筋肉・感情・気というこれまで学んできたものが統合される感じがして、直感的にタッチフォーヘルス・キネシオロジーを学ぶことを決めました。
タッチフォーヘルスを学びに世界へ
1999年11月にタッチフォーヘルスを学び始めて、すでに締め切りの過ぎていた2000年1月に行われるインストラクター 養成講座に無理を言って参加させてもらいました。
インストラクター養成講座に参加するには、レベル4までの全過程を修了している必要があります。しかしその当時、日本でレベル4まで修了しているのは12 名でした。
そのうちの9名が、日本で初めて実施されたインストラクター養成講座にそれぞれの夢を抱いて参加しました。
講師は、カナダから招いたマイケル・デロイ氏。通常は、タッチフォーヘルス・キネシオロジーを人に伝えるためのトレーニングを積む講座なのですが、人に伝える以前にタッチフォーヘルス・キネシオロジーのことをまだよく理解していない私たちは、盛んに基本的な質問をしました。
マイケルの丁寧な指導のおかげで、かなり理解できました。
それから2年間、タッチフォーヘルス・キネシオロジーを私なりに伝えてきたのですが、実をいえば受講者の鋭い質問に冷や汗の連続でした。
“このままでは、インストラクターとしての責任を果たせない。もう一度、基礎からタッチフォーヘルス・キネシオロジーを学びたい”と思っていた頃、米国で開催される創始者ジョン・シー博士のクラスへの日本からのツアーが企画されていることを知り、これに飛びつきました。
ジョン・シー博士のクラスに参加して、タッチフォーヘルス・キネシオロジーに対する私の認識が大きく変わりました。
それまでは、痛みを緩和するためのボディーワークだと理解していたのですが、創始者ジョン・シー博士のタッチフォーヘルス・キネシオロジーは、サイコセラピー(心理療法)だったのです。
簡単に説明すると、筋肉を活性化することで心までも元気にするのが、タッチフォーヘルス・キネシオロジーだったのです。 これまで、痛みを緩和するだけで有頂天になっていた私には、まさに目からウロコが落ちるような衝撃でした。
その後、各国の協会を束ねる世界タッチフォーヘルス・キネシオロジー協会会長のトニー・グラントン氏のクラスにも参加する機会に恵まれました。効率的なジョン・シー博士の タッチフォーヘルス・キネシオロジーに対して、正確性を求めるトニー氏のタッチフォーヘルス・キネシオロジー。
どちらかというと医療者サイドに立つジョン・シー博士に対して、クライアントに自己責任を促すトニー氏と、色々な観点からトップレベルのタッチフォーヘルス・キネシオロジーを体験することができたのは、私の宝です。
メディカルサポート快癒院を通じて皆様に元気になってもらいたいのです。
「どこがどうなっているのでしょうか?」
「原因は何でしょうか?」
初めて来院された患者さんからよく聞かれます。
「どこどこがこうなっていますね。でも、それは結果であって原因ではないですよ」と私は答えます。
健康は、心と体と栄養のバランスによって成り立つとタッチフォーヘルス・キネシオロジーでは考えます。
もし、あなたが今の状態をOKでないと感じているのであれば、それは“生活を見直すチャンスですよ”という身体からのメッセージであるかもしれません。
「心おだやかに暮らせていますか?」
「体に適度な休養や運動を与えていますか?」
「毎日の食生活はどうですか?」
何が起こっているかより、どう受け取るか。
これからの成瀬大介、メディカルサポート快癒院
私は、ホリスティック医療を実践しながら、ナチュラルメディカル(自然な医療)をたくさんの方に伝えていきます。
【ホリスティック医療】
病気は何らかの働きかけによって、患者自身の自然治癒力が活発になり癒されるものであるという全体論的な考えに基づく医学思想で、治療に患者が積極的に参加し、医者は患者を支え援助するものであるとされています。さまざまな治療法を統合的に組み合わせたり、いろいろな観点から患者全体をみていこうとするやり方。
- 患者さんをダイナミックにみること。
- 患者さんに自分の価値観を押しつけないこと。
- 患者さんとは人として対等の関係であること。
- 患者さんを依存させず自立へと導くこと。
- そのために、患者さんと十分に対話すること。
なぜ、東京から札幌に?
私には、2人の息子がいます。平成16年より分かれて暮らしています。札幌に住む彼らと会うのは、長男の誕生日の8月と次男の誕生日の4月、その間をとって11月頃の年3回くらいでした。長男が小学校にあがると、これまでよりも会う機会が減り、年に2回くらいになりました。日本ハムファイターズの活躍に影響されたのか、2人とも野球が大好きです。息子たちと会うときはいつも野球をして遊んでいます。私も母子家庭で育ちましたので、父親とのキャッチボールは憧れでした。子供たちが喜ぶの気持はよく理解できます。この頃より、父親が必要な年頃になったのではないかと思うようになりました。また、同じ時期に「未来予想図プロジェクト」に携わるようになり、子供は家族との触れあいを望んでいることを知り、息子たちとすぐに会える距離にいたいと思うようになりました。知らない土地で開業することの不安は小さいものではありませんが、息子たちに堂々と父親の背中を見せてやりたいと思っています。東京から札幌への移転は、私の人生において大きな意味をもつチャレンジだと思います。大阪で生まれ、愛知で育ち、東京で鍛えられました。そして、これまで培ったものを札幌の地で恩返しがしたいと思っています。

